アート作品は、「自ら語る」ことをしない
アート作品は、良い作品であれば「自ら語る」ことで、人を惹きつけるものなんだと、いつも思ってしまいます。でも、実際考えてみると、別にそういう訳じゃなかった。
クリエイターが、クリエイターとして認知されるとき、それは作った作品の力によるものだけでは無いかもしれません。
作品の良さは、作品ではなく人によって伝わることを忘れがち
アート作品に限らず、全ての創作物(音楽や映画、書籍など、なんでも)に惹きつけられるキッカケって、創作物そのものに魅せられたからですか?
多くの場合、人やWeb、雑誌等を伝って知り、そこに書いてある文句に興味を持ってハマって行くという流れがあるのではないかなと思っています。
「自ら発見したんだ!」と言う方も、もちろんいるでしょう。しかし、その作品を発見するにあたって、過去触れてきた「情報」や「体験」がルーツになっていると思いませんか?
何かを「好きになるとき」や「惹きつけられるとき」、それは全て過去の経験や知識に紐付いています。
反対に、その流れに反する作品が登場すると、嫌悪感を持つという方もいるかもしれません。例えば、トラディショナルな8ビートのロックンロールが好きな人にとって、4ビートのダンスロックが突如耳に入ると違和感を感じるように。
(※どちらも、別物として好きな人はごめんなさい。)
作品は、「世界(世間)」と「時間(私的なブーム)」を通して「良さ」が“伝わる”
SNSが情報のプラットフォームとして当たり前になったいま、それ以前よりも顕著になっているなと感じるのが「アート作品は語らない」こと。
創作物の良し悪しは、情報や体験でしか伝わらないということです。当たり前ですが、どんなに良い作品を作っても、ひと目に触れなければその良さは伝わらない。物理的にも作品そのものが語ってくれるわけではありません。
(※作品が自ら情報発信しだすプログラムを開発している人がいたらごめんなさい。)
仲の良い友人、家族が勧めてくれたから。尊敬している人物(それも過去の「何かの体験」によって尊敬することになった人)が推しているから。作品に興味を持ち、好きになる。
伝達無くして作品の良さは伝わらないのです。
そして、クリエイターが「俺の思いを伝えるぞ!」と意気込んでも難しい時代でもあります。
先ほどチラッと触れましたが、SNS時代は「大衆が内輪話に盛り上がる」時代でもあります。外部からクリエイター自身が「これは良いぞ!」と伝えても、誰も響きません。なんかシラケた感じでスルーされます。
そこで、大切なのが「伝える」ではなく「伝わる」ことです。伝えたい人、ひとりひとりの「感心のある部分」にまで響かせなければなりません。
「他人のことを考えて創作するなんて、クリエイティブじゃない!」と思っても、やっぱり伝わらなければ意味がありません。ではどうしたらいいのでしょうか。
それは、大衆的な内輪をまるごと掴むような共感を得なくとも、たったひとりにでも伝われば、良いのです。あなたが、何かを好きになった時のように、情報や体験を介して作品について語りだしたとき、はじめて「作品の良さ」が伝わります。
ということが、オースティン・クレオン氏の『クリエイティブを共有(シェア)!』という本に書いてあったので、妙に納得し(た気になり)ました。
以下、一部引用です。
人間は目の前のものがどこから来たのか、どうしてできたのか、誰によって作られたのかを知りたいものだ。君が自分の作品についてどう語るかによって、人々の感じ方や作品に対する理解のしかたに大きな影響がでる。そして、人々の感じ方や作品に対する理解のしかたは、その作品の評価に影響を及ぼすものなのだ。
クリエイティブを共有! SHOW YOUR WORK! "君がつくり上げるもの"を世界に知ってもらうために
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では、その伝わる方法って?という点に関しては、また次回(気が向いた時)に書いてみたいと思います。